PERSON

魚への深すぎる、愛。
日本最大級の「魚屋」への道。

水産事業第一部 水産第二課
立川Tachikawa
職  掌: M&L
職  種: 営業
仕事内容: 水産品(サーモン)の調達
入  社: 2003年

おさかな博士、
魚屋になる。

寝ても覚めても、魚のことを考えている。そんな幼少時代を過ごしていました。きっかけは、釣り好きな父親の影響だったと思います。小学生のときには、週末は必ずといっていいほど家族で海に出掛け、晩御飯の食卓に並ぶ魚を釣り上げる。釣り以上に「魚」の魅力に夢中になった私は、いつしか、防波堤の向こうに広がる大海に想いを馳せるようになりました。

魚を鑑賞するのが好きだった私は、水族館にもよく連れて行ってもらいました。釣り上げたこともないような、色鮮やかな魚、巨大な魚、怖い顔をした魚、深海を生きる魚...。世界中の多種多様な魚に見惚れ、魚種や名前や生息地などを覚えようと買ってもらった魚図鑑を、ビリビリに破れるまで読み漁りました。気づけば、両親や友達から「おさかな博士」と呼ばれるほどに、海の世界に詳しくなった私は、将来の夢を聞かれたときにはいつもこう答えました。「大人になったら、お魚屋さんになりたい」と。

魚に関わる仕事に就きたいと考えていたのは、就職活動を迎えた際も同じでした。ただ、その夢が少し大人びたのは、どうせ人生を賭けるならダイナミックな環境で商売する魚屋になりたい、と思ったこと。あの日、水平線のかなたに広がっていた世界、海中に広がっていた世界を、自分自身が駆け回ってみたい。グルーバルに事業を手がける当社に惹かれたのは、そうした理由もあったのかもしれません。

商売の結果は、
仕掛けで変わる。

入社後は念願叶って、魚の調達・販売を担う、商いのど真ん中に携わる部署に配属されました。私の魚屋人生の開店です。

担当となったのは、養殖の「ぶり」。当社が養殖鮮魚の取り扱いを広げようとグループ会社である黒瀬水産を設立したばかりの年に、私はその調達と販売を任されたのでした。いまでこそ、当社の「黒瀬ぶり」といえば、業界の中でも有名な商品ですが、当時は、黒瀬ぶりも世に出回って間もない頃。黒瀬ぶりのブランド力も通じず、営業活動しても門前払いされるばかり。悔しさもありましたが、どうすれば買ってもらえるのか、試行錯誤しながら、足を使って日本中のお客様を訪問しました。

わかったのは、当時は、ぶりは冬場に旬を迎えるイメージが強く、夏場は脂が落ちることもあり、あまり売れない魚と考えられていたこと。しかし、黒瀬ぶりは夏場でも脂の乗った状態で出荷できる独自の技術を開発し、暑い時期でもおいしく食べられるようになったのです。そこで私は夏場に水揚げするぶりを、その年に一番早く獲れる「新モノ」として、さらには「夏に旬を推し出す」という当時の業界常識を覆す販売戦略を考えました。商品名は「若ぶり」。脂はしっかりと乗ったうえで、後味はさっぱり。お刺身や冷しゃぶなど夏の食卓に合わせたマーチャンダイジング戦略と一緒に取引先へと提案しました。するとお客様からも上々の反応をいただき、黒瀬ぶりのニーズはどんどん広がっていきました。私はその経験がきっかけとなり、商売をうまく進めるための仕掛けを考える面白さに、のめり込んでいきました。

世界の荒波に揉まれて、
磨かれた才覚。

入社から9年が経った2012年、私に異動発令がありました。行き先は、南米のチリ共和国にある、サルモネス・アンタルティカ社(以下:SA社)への出向。SA社は、サーモンの養殖事業を手がける当社の100%グループ会社であり、大きな事業規模を誇る養殖会社でした。サーモンの年間出荷量は、当時で約3万トン。その販売こそが、私に任された仕事でした。

サーモンの需要は世界的にも膨大であるため、原油や大豆のように国際価格で取引される商材です。そのため、世界中の受給バランスや売買価格を理解していないと商売が成り立たず、私は必死に国際取引に関する勉強をしました。現地のチリ人スタッフと連携し、世界のマーケットを舞台に切磋琢磨し、その荒波に揉まれたことで私の才覚は磨かれ、3年を過ごす頃には「魚屋」としてグローバル市場で戦う自信を持てるようにもなりました。

その後、再び日本に戻った私は、引き続き養殖魚の仕事に携わります。現在、任されているのは、当社が国内販売用に輸入する養殖サーモンの買い付けです。つまり、SA社を含めた海外の養殖会社の買い付け窓口になりました。日本で食べられるサーモンの10%ほど、生食用のチリ産サーモン限っては約30%を私が買い付けています。世界中で取り合いが起こるほどの人気魚種のため、日々、熾烈な商談を重ねていますが、私が日本のマーケットを背負っていると思うと、ついつい交渉にも力が入ります。半年から1年先の消費量を予測し、どうすれば世界中のバイヤーを出し抜けるか。当社の動向は競合他社にも注目されており、相場に影響を及ぼす存在でもあるため、常に責任感を持って仕事に取り組んでいます。

寝ても覚めても、魚のことを考えている。この仕事に携わって、ますます魚のことが好きになりました。子どもの頃に夢みた「魚屋」になれた私は、いま刺激的な毎日を過ごしています。

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